一部、過去記事と被る内容があるかもしれませんが、今回は彼女が母親について語ります。
↑彼女のマザコン、ブラコン記事はこちらから。
母は21歳で、周囲(家族)の反対を押し切り、家を出て私を産んだ。
私の記憶がある時は、祖父母と母と4人暮らしだった。実父との生活の記憶は全くない。
母は、水商売をしていた。普段は祖父母に面倒を見てもらっていた。
2人目の父と再婚した頃から、自分がいなければ、自分が迷惑かけている、自分が存在しなければ、なぜ産んだのだろうとずっとずっと小中高とモヤモヤして過ごしていた。
「なんで産んだの?」なんて恐ろしくて聞けなかった。
実父の話題は、母と私の2人きりの時しか話せないという、暗黙のルールが存在している。
とある日、母と2人で出掛ける事があった。何かの拍子で昔の話になった。
その時に言われた母の言葉は今まで自分の存在を否定し、迷惑や、負担になってきて苦労をかけてる申し訳ないという気持ちを晴らしてくれた。
「私が唯一、愛して結婚したのは、るりの父親だけだよ」
この言葉を聞いた時、涙が出そうになるのを必死にこらえたのを今でも憶えている。
私は、母に望まれて生まれたんだ。
確かに、母と父の間に愛はあったんだ。
父は男の子を望んでいたらしい。
女の子だったら母が名前を付けると父と約束をしていたのに、父はそれを簡単に破って勝手に名前を決めて出生届を出し、入院中の母と病室で大喧嘩したと、母はよく笑って話す。それだけ愛おしかったんだと。
今となれば、父の遺品写真が1枚しか持っていない私にとっては、父がつけてくれた名前も立派な遺品になったのだ。
私と母は正反対だ。
母は強く逞しく、行動力、判断力、決断力が長けている。リアリストであって、お人好しで、人付き合いが上手。お金に対してとてもシビアで娘が言うのも何だがとてもキュート。
子供の頃、母に「ママをお花に例えるなに?」と聞かれた事がある。
その時、私は「ひまわり」と答えた。
私の中では、今もひまわりのままである。
そしてこれからもマザコンでいいやと思っている。
一生マザコンでいい。
親離れできない自分を責めるのも、ダメな奴だと思うのも、母に申し訳ないと思うのもやめた。
私は、きっと母親としてではなく、1人の大人の女性、人生の先輩、様々な事を経験し、アドバイスや助言をくれる存在として尊敬し大好きで愛している。
僕は、外から見て母親から彼女への愛情をずっと感じていたし、彼女も母親の悪口を言いつつ、なんだかんだ母親が好きなんだという事も伝わっていました。両想いなのに、なんだこの関係はと思っていました。(だから絶対にきっかけさえあれば、関係はよくなると僕は信じていた。)
それがいつからでしょうか・・・母親の悪口がパッタリなくなりました。
僕が思うに彼女は、母親とずっと腹を割って話してきた事がないように見えた。母親と2人きりの時間が幼少期からずっと少なかったと思う。母親が仕事で家にいなかったり、母親の隣には常に義父がいたり、彼女は一人暮らしをしたり、結婚をして家を出たりもしてるので・・・。それに彼女は母親に異常に気を使うので、すれ違いもずっとあって、知らぬ間に母親と彼女の間に大きな溝ができていた気がする。
でも、昨年彼女が爆発して母親に抱きしめられながらメチャクチャ泣いた日があった。
この辺りから、彼女は本音で母親に想いを伝えられるようになった気がします。恐らく今が1番、母親に腹を割って話せているんじゃないかな?
完全に彼女の中で解決したとは思っていませんが、長い時を経て大きな1つのモヤが薄まったように感じています。